【銀河盛アワード】銀河盛名ナレ大賞
投票期間: 2017/06/11 18:29 ~ 2017/06/25 18:29 (終了)
平成29年。本放送から5年の時を経て、大河ドラマ「平清盛」がCSチャンネル銀河にて約2ヶ月半に渡り連日放送された。
放送時間には多くの海の底の都の民が浮上すると共に、新たに清盛沼に足を踏み入れそうな視聴者も現れ、実に賑やかな時間となっていた。
夏には再度放送されるという情報もある中、ひとときの清盛ロス対策に祭りの開催を企てる者が現れた。
#平清盛 クラスタが選ぶ【 #銀河盛アワード 】 https://togetter.com/li/1118612
■銀河盛名ナレ大賞
『平清盛』の劇中で印象に残るナレーションから「銀河盛名ナレ大賞」を決定します。
エントリーは事前アンケートに基づく結果を基本としていますが、多くは主催者の独断と偏見です。ご了承下さい。
台詞の表記は必ずしも正しくないことを申し添えておきます。
放送時間には多くの海の底の都の民が浮上すると共に、新たに清盛沼に足を踏み入れそうな視聴者も現れ、実に賑やかな時間となっていた。
夏には再度放送されるという情報もある中、ひとときの清盛ロス対策に祭りの開催を企てる者が現れた。
#平清盛 クラスタが選ぶ【 #銀河盛アワード 】 https://togetter.com/li/1118612
■銀河盛名ナレ大賞
『平清盛』の劇中で印象に残るナレーションから「銀河盛名ナレ大賞」を決定します。
エントリーは事前アンケートに基づく結果を基本としていますが、多くは主催者の独断と偏見です。ご了承下さい。
台詞の表記は必ずしも正しくないことを申し添えておきます。
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1 | 「平清盛なくして武士の世はなかった」(最終回) | |
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2 | 「(崇徳上皇は)何一つ、何一つ思うままにならぬ一生を生ききった」(第30回) | |
3 | 「平清盛なくして源義朝はなく、源義朝なくして平清盛はなかった」(第25回) | |
3 | 「私は私の明日を見つけた。その時、平清盛は明日を見失いかけていた」(第42回) | |
5 | 「皆を驚かせてしまったが、まことゆえ仕方がない。平清盛は誰よりもたくましく乱世を生き抜いたまことの武士だったのだから」(第3回) | |
5 | 「源義朝なくして平清盛はなく、平清盛なくして源義朝はなかった」(第3回) | |
5 | 「母は一途で、そして報われぬ人であった」(第11回) | |
5 | 「しかし武士の世はそうたやすくはこなかった」(第21回) | |
5 | 「昨日が今日なのか、今日が明日なのか、明日が昨日なのか、目の前が真っ暗で分からなくなった。ひとつ分かっていたことは、私の子を殺したのは遠い都にいる平清盛であるということだけだった」(第32回) | |
5 | 「清盛が病に伏せり、そして死の淵から蘇ったことで、人々はこれまで塞いでいた心の蓋をわずかばかり開くこととなった。二度と元通りには塞げぬ心の蓋を」(第34回) | |
5 | 「平清盛は誰よりもたくましく、その64年の生涯を駆け抜け、生き抜いた」(最終回) | |
「みくびられていたのは源氏一族ではなく、祖父・為義だったのではないかと私は思う」(第1回) | ||
「世に平清盛が現れた」(第2回) | ||
「きっとこの時からわが母の心は父のとりこになっていたに違いない」(第6回) | ||
「平氏は概して兄弟仲が良かったと言われる。それに比してねじれているのは皇子たちご兄弟である」(第9回) | ||
「第四の皇子、雅仁親王。後の後白河上皇と清盛の長い長い双六遊びの始まりであった」(第9回) | ||
「京随一の武士(もののふ)と呼ばれた佐藤義清は乱世の舞台に立つこと無く世捨て人となった」(第10回) | ||
「父・義朝と清盛、揃いも揃ってろくでもない求婚であったが、いずれもめでたく結ばれることとなった」(第12回) | ||
「平氏はやがて強大な力をつけていく。あくまでもやがて」(第17回) | ||
「我ら源氏にはあまり縁なきことであったが、歌会とはそれぞれの思い渦巻く政の場である」(第17回) | ||
「乱世を生きる武門の棟梁として、清盛もついに情を捨て苦渋の決断をした。しかしそれは茨の道の入口でもあった」(第19回) | ||
「戦乱の世には決して珍しいことではなかった。我が母・由良にも、常盤御前にも、酷だと思った」(第20回) | ||
「平清盛と源義朝。共に身内と敵対する痛みと抱えて武士の世を開く戦、後に保元の乱と呼ばれるその戦を戦うことになった」(第20回) | ||
「王家も、藤原摂関家も、武家も、心に血を流してこの戦に臨んでいた」(第21回) | ||
「源義朝も平清盛も分かっていただろう。これが互いに相まみえる最後の時であると」(第27回) | ||
「私はただその大きな背を見送ることしかできなかった。だが、その背に我が父・義朝が果たせなかった志までも負うていることだけは分かった」(第28回) | ||
「書家に画家、至高の技と材料、一国の技芸の粋を凝らした33巻の経典が完成した。そこに注がれた莫大な剤と労力、強い願いと祈り。まさに平家にしか能わぬ途方もない技の結晶。世に名高い「平家納経」である」(第30回) | ||
「私はまだ私の明日を見つけられずにいた」(第35回) | ||
「その頃の清盛の目には明日しか映っていなかっただろう。輝かしい明日しか」(第35回) | ||
「清盛の明日、私の明日、そしてまだ見ぬ我が弟の明日。それぞれの明日が交わる日はもう少し先である」(第35回) | ||
「清盛のあずかり知らぬところで、源氏の魂は着々と蘇ろうとしていた」(第43回) | ||
「平清盛はたった一人で暗闇の中にいた」(第45回) | ||
「その時、私には分かった。別れ別れになったかに見えた我が父・義朝の道と平清盛の道は再びひとつになると。そしてこれこそが私の務めであると」(第48回) | ||
「弟の屍の上に私は武士の世を作り上げた」(最終回) |
ジャンル:
テレビ